こうかいドバドバ海峡

多くの後悔を抱えて読書紹介

人間万事塞翁が蜂

「支えてくれた?」

  安西の父がふいに大声を出す。誰かに支えてもらわねばならんほどの大切ななにかを、お前は一度でも成し遂げたことがあったか。支えてくれたからなんだ。だから責任をとって一緒になりますとでも言うのか。そんな結婚がうまくいくはずはない、絶対やめろ、と言い募る。

 

 

個人的な話になるが、父親との関係が難しい。それは自分が思春期の頃、父親がいなかったせいもあるかもしれないし、単純に性格が合わないせいもあるかもしれない。時が経ち、お互いにそれなりに軟化したと思うけれども、それでもぎこちない瞬間がある。どこの家庭もそうなのだろうか、と思い悩むことがある。

 

今回紹介するのは、寺地はるな著『今日のハチミツ、あしたの私』だ。中学生の時いじめられた経験のある碧はたまたま居合わせた女性にもらったハチミツで元気を取り戻す。それから十年以上経ち、恋人の安西と共に父親に挨拶に行った時のセリフが冒頭である。

 

 

碧も安西も「能無し」と罵られ、それを撤回してもらうために碧は養蜂場の債権回収に向かうことになる。養蜂を手伝う代わりに、養蜂家の黒江から給料をもらい、そのお金を安西の父に渡すのである。碧は養蜂に真剣に取り組むにつれ、新しい場所で居場所を確立させていく。心温まる人たち、そうではない人たち、そして――。

 

冒頭のセリフ、こんなこと言われたら委縮してしまう。安西の父は私の父に似ている。亭主関白で実力主義者。実力のない人に対する理解の乏しい感じ。お腹が痛くなってしまいそう。また、こんな描写もある。

 

親子なんだから、絶対そんなはずないよ、などとは、碧は言わない。親子なんだからわかりあえるはずだとか、愛しているはずだとか、そんなのは嘘だ。親を心から愛せぬ子はいる。逆もまた。親と子は他人だ。

 

ええ……そんなこと言われたら悲しくなっちゃうよ。(父親との関係が難しいと言いながら)自分には友人が少なく、特に思春期以前にはほとんど親がいたから生きてこれたようなものだ。ここまでバッサリと言われてしまうと胸が痛む。

 

親のことを他人とは思いたくない。しかし、難しいのだ。血縁者だからこそ、許せない部分もあるだろう。そう考えると、なかなかに自分の世界が窮屈なような気さえしてくる。信仰心のある人は違うと言うだろうが、個人的な感覚において我々は親を、子を選ぶことはできない。人生は勝手に始まっているうえに、終わりが約束されている。

 

しかし、この小説を読み進めていけば、自分自身の努力で世界を切り開いていく爽快感に出会うことができる。もちろん、出会う人すべてが良心的ではなく、安西の父のように作為的に悪人らしい振る舞いをする登場人物もいる。そんな中でも、碧は生きていく。生きていかなければならない。人生のひたむきさを感じることができる。

 

人間万事塞翁が馬、ということわざがある。人生何が起こるか分からない。それでもみんな頑張っている。そう、たまに蜂に刺されるようなアクシデントはあるけれど。

 

 

 

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